ガイ・バート『ソフィー』(黒原敏行訳、創元推理文庫)

ラグビー観戦仲間からのお勧めで家人がだいぶ前に読んでいたので、遅ればせながら便乗。

途中まではさほどとも思えなかったのだけど、読み終わってみると、これ、けっこう面白いかも。

(なるべくボカしてはいるけど、以下、ネタバレ注意)

昔の(恐らく10~20年前だろうか)事件と、現在進行形の事件。どちらも、全体像や具体的なあれこれ(いわゆる5W1H)についてはほとんど明らかにされないので、「事件」とカギカッコ付きで書きたくなる。たとえば私(「ソフィー」)とマシューがいま何歳なのか(「ソフィー」とマシューの年齢差は分かっているが)、職業は何なのか、どのような経緯でいまそのような状況に至ったのかは、最後まで分からない。現在進行形の事件はもちろん、過去の事件についても、たとえば被害者(?)が厳密に何人だったのかということは明示されず、推測するしかない。この小説が幕を閉じた後、「私」とマシューがいったいどうなったのかも、読者の想像に任されている。

ではこの小説に何が書かれているのかというと、古典的な普通のミステリであれば、探偵役が「実はこういうことだったんです」と、客観的に、裏付けとなる証拠を示しつつ、明晰判明な事実として説明する部分(のさらに一部)を、徹底して当事者による記憶と対話を通じて、したがって主観的な偏りや曖昧さを持ちつつ、偏執的に細かく描写していく感じ。背景となる全体像が与えられないまま細部をルーペで拡大しながら見ていくような感じなので、けっこうグロテスクな印象も与える。

好き嫌いはあるだろうけど、「最後になってすべてが判明して大団円」のミステリが不自然だと感じることのある人は、けっこう気に入るのではないかと思う。まぁ繰り返してやっても二番煎じになるだけなので、あくまでもこれ一作の趣向と言ってしまえばそれまでだけど。

 

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