内村鑑三『ヨブ記講演』(岩波文庫)

これも遠藤周作『沈黙』つながりで、義父に借りて(こちらからは先に紹介したクシュナーを提供・笑)、少し前に読了。

ヨブ記の解釈は、クシュナーとは大幅に異なるのですが、そこには、そもそもユダヤ教徒かキリスト教徒かという違い、宗教者か信仰者かという違い、時代の違い(ホロコーストという歴史的記憶の有無)が大きく影響しているように思います。

で、やっぱりキリスト教の根幹には「服従」があるのだなぁ、という印象。イスラーム、ですな。

そして私は、ヘンデル「メサイア」の有名なハレルヤコーラスの直前で歌われる、自由を求めて立ちあがる(そして神に懲らしめられるはずの)人間の王たちについ共感してしまうのです。

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