浮谷東次郎『がむしゃら1500キロ』(筑摩書房)

例の面白サイト「デイリーポータルZ」に、「原付バイクで東京から京都まで1日で行けるのか」という記事があり(URL)、Facebook上で「『がむしゃら1500キロ』を思い出します」とコメントしたら、他の人から「懐かしい」という反応が寄せられたこともあり、再読したくなった。実家に戻れば残っていると思うが、面倒なので図書館で借りた。

デイリーポータルZの記事では中山道を使い18時間で走破しているが、本書では、東海道を使って、名古屋で1泊している(あれ、京都でも泊まっていたかな?)。何しろ、舞台は1950年代。天下の東海道でさえ、砂利道だった時代である。東京オリンピックも、大阪万博も、まだ先の話だ。

著者は中学3年生(その年齢で原付に乗れたのだなぁ)。乗っているのはクライドラーというドイツ製の50ccで、名車とのことだが、とはいえ、信頼性も含めた性能は現代のスーパーカブとは比較しようもないだろう。もちろん、現代の我々が馴染んでいる諸々は、ほぼ何も存在しない。スマホも、パソコンも、ペットボトルのドリンクも、コンビニも(裕福な家だったようで、テレビは出てくる)。

私がこの本を最初に読んだのは1980年代初頭だったはずで、当然ながら、その頃はこの本で語られている状況にそれほど隔世の感を抱いていなかったが、いま読んでみると、かなりのギャップを感じる。

そもそもフィクションである『飛ぶ教室』や『君たちはどう生きるか』に比べれば、現実の少年が書いたノンフィクションであるこの本は、文章も年齢のわりにしっかりしているとはいえ整っているわけではないし、散漫な部分もあるし、もちろん、子どもっぽい意見や考えも随所に見られる。

それでも、若さに付きもののあれこれには、かなりの程度の普遍性があるように思うのだけど、いまの中学生が読むと、どう感じるのだろうか。

そういえば、市川~大阪間を往復する(和歌山にもちょっと寄る)夏休みの冒険旅行の部分はもちろん素晴らしいのだけど、私がよく覚えていたのは、その後の年明け、元旦の日記。晴れやかな気分で朝を迎え、さすが元旦とか言っているくせに、夕方になると「正月とはこんなにつまらないものだったのか」と思ってしまう。そのあたりに妙に成長を感じてしまうのだ。

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