「心」(「現象的意識」とも)が物理的な世界に影響を与えることを否定する現代の「心の哲学」に対して、「心」の存在意義の再確認を試みる著作。
自然淘汰による「進化」に基づく「心」の存在意義の主張には、ある程度の説得力を感じる。現象学的な立場からの「意識」の捉え方は、著者が多く援用するメルロ=ポンティの著作に、私自身も卒業論文で大いにお世話になったこともあって、懐かしく馴染みやすい論法。
とはいえ、この本自体では「心」から物理的世界への働きかけの可能性自体については論証できていないのは著者も認めているとおり。というより、「物理世界は完結し、心の働きかけを許さない」という物理世界の因果的閉鎖性テーゼにおいて、そもそも「因果」という概念自体が「心」によって導入されたものではないかという、さらに根本的な(いや、カントに戻るわけだから先祖返り的ではあるのだが)問い直しが必要なのではないか、という気がする。その意味で「哲学者、もっと強気で行けよ!」と思ってしまうけど、そういうちゃぶ台返しみたいなことはやりたくなかったのかな…。