H. S. クシュナー『私の生きた証はどこにあるのか-大人のための人生論』(岩波現代文庫)

優れた宗教論『なぜ私だけが苦しむのか』の著者による「人生論」。

旧約聖書に含まれる「コヘレトの言葉」を手掛りに、人生の空虚さを克服することはできるのか、できるとすれば、どう考えることが可能かを探求する本。

10章構成のうち、第7章までは「有力そうに見えるが人生の意味をもたらすことのできない」要素(たとえば財産、名声、学識、信仰)の批判的検証。もっとも、そういう要素を獲得できない、そもそも追求することにも縁の無い人も多いのだから、「そういうのを試してみられるだけでも恵まれているんじゃない?」とひねくれた見方もできる。

第8章で「なるほど、これなら」と(私には)思える解が示されるのだけど、さらに第9章以降では、「あれあれ、そうなっちゃうの?」という印象。

第9章「私が死を恐れない理由」では、そこまでの検証の結果として、「人々の一員になる」「痛みを人生の一部として受け入れる」「自分が違いを作り出してきたことを知る」という三つの指針を挙げ(p209~210)、またタルムードでは「人生にはその途上でなすべきこと」として「子をもうけること」「木を植えること」「本を書くこと」の三つが挙げられていることを紹介するのだけど(p225)、残念ながら、著者やコヘレトと違って、そうした条件を満たせない人が世の中にはけっこういるのだ。

その意味で、第8章で止めておけば良かったのに、と思わざるをえない。第8章はいいんですよ。もちろん、それさえ得られない人もいるだろうけど、それでもだいぶ間口が広い。

翻訳は『なぜ私だけが苦しむのか』の方が優れていたが、そう悪い方でもない。

 

 

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