常々、フェミニズムというのはもちろん女性だけの運動ではないし、そもそも、フェミニズムによって男性もまた救われ解放される、という認識をもっている。したがって「99%のための」であれば当然自分もそこに入っているはずだよなと思って、この本を手に取った(社会階層的には十分に恵まれている方だと自覚はしているが、いくら何でも1%の側ということはあるまい)。
本書の「リベラル・フェミニズム」(リーン・イン・フェミニズム)への批判や、「多様性」がネオリベラリズムに利用されてしまう構図の指摘などは、たいへん刺激になるし、今後の思考や行動を変えていくキッカケになるような気がする。「飛び散った破片の片づけを圧倒的多数の人々に押しつけてまで、ガラスの天井を打ち破ろうとすることに興味はない」という比喩は秀逸。
そういった意味でも、まさに今読まれるべき本だとは思うのだけど、残念ながら、翻訳がよろしくない。訳者はまだ若い人なので、これからということなのだと思いたいが、う~ん。まぁ私の過去の翻訳にも、すべて回収して焼き捨てたいほど酷いミスがあったからなぁ…。いちばんガックリ来たのは、テーゼ10の末尾、原文 “Not in our name.” が「私たちの名を語るな」になっているのだけど、ここは「騙るな」だろう。ボールド表記で強調されている部分だけに、この誤変換はちと辛い…。もちろん、翻訳の点を割り引いても良い本だとは思うのだけど。
というわけで、こういう場合のお約束ということで、原書をkindleで購入してしまった。