ケストナーの作品のうち、子どもの頃に『エーミール……』シリーズや『ふたりのロッテ』を読んだ記憶は濃いのだけど、この作品は(たぶんいちばん有名なはずだし、タイトルはよく知っているのに)読んだことがなかったみたい。
家人の影響で、この年齢になって初めて読んだわけだけど、「この小説があるのだから、この世もけっこう捨てたものではない」と思えるほど、味わい深い名作です(※)。
(※昔の作品なので当時の意識に基づく制約はあるが、そのへんは訳者あとがきで適切に言及されている)。
私はキリスト教徒ではないし(育った家庭環境のせいか多少の親しみはある)、商業化したクリスマスには辟易するけど、でも、こういう小説の設定として素晴らしく活きるのがクリスマスのいいところだよね、と思います。
ナチス政権下のドイツで書かれ、そうした社会・政治状況に対する警鐘が盛り込まれているというのも、もちろんこの作品の貴重な価値であって、その点も含めて、読んでいて何となく、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』と重なるものを感じました(『君たちは…』のほうがはるかに教養主義的というか「勉強になる」内容ですが)。『飛ぶ教室』は1933年、『君たちは…』は1937年。前者の日本語訳が出たのは戦後だけど、吉野源三郎がドイツ語を読めないはずはなく、入手して影響されていたりしないだろうか、などと思います(調べていませんが)。
ところで登場人物のうち誰に感情移入するかというと、まぁタイプとして自分が一番近いのは、その性格的な欠点も含めて(というか欠点ゆえに)、ゼバスティアーンだろうなと思います。ああ、こういうことオレもやっちゃっていただろうなぁ、と。その一方で(自分とは距離があるけど)「こうでありたい」という意味で惹かれるのはジョニーかな。
ドイツ語は読めないので原文と対照したわけではありませんが、池田香代子の翻訳はたいへん良いと思います。先に買ってあった池内紀の訳(新潮文庫)は、残念ながら今ひとつ(ふたつ、みっつ)。池田訳のように、「ですます」調でひらがなを多用する児童文学っぽいスタイルだからといって、大人が読むに堪えないというわけではない、むしろ逆である、という気がします。