いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』(福音館文庫)

佐藤さとる『ふしぎな目をした男の子』の執筆動機に「乾富子」という編集者が絡んでいたと知れば、これを読まずにはいられないではないか。

ところで、家人と出会ったのは会社の同僚としてなのだが、親しくなったキッカケは、2人とも酒飲みだったということの他に、本が好きだったという要素が非常に大きい。付き合い始める前から、飲み友だちとしてあちこち飲みに行っては、結局は本の話ばかりしていたように思う。

その最初の頃、会社の近所にあったハワイイ料理の店(移転したようだ)に2人で飲みに行き、子どもの頃読んだ本の話になって、共通する記憶としてこの作品の名前が挙がったことをよく覚えている。ちなみにそのとき、いい感じで飲んでいたら、店の人から「これから来店する客にその席を譲ってくれ」と頼まれた。ちょいと理不尽な話だが、聞けば、何と元横綱・武蔵丸関だという(前年に引退していた)。店内を見渡すに、なるほど、あの体格で座れそうな席は、我々がいた角のソファしかなかった。我々はもちろん快諾して、別の狭いテーブルへと移動した。そんなわけで、私の中では、この作品は武蔵丸関の名と分かちがたく結びついている。

それを機に買い直して子どもの時以来に再読したのが20年近く前。今回、久しぶりに再々読。

佐藤さとるのコロボックルシリーズに比べて社会派リアリズムの色が濃いというか、身も蓋もない言い方をすれば「暗い話」という印象があったのだけど、改めて読んでみて、ずいぶん最初から戦時下の話になっているのだなぁと驚いた。主人公ゆりの父親は英文学者、兄は親に反対されつつ幼年学校への進学を望んでいるといったあたり、何だか私の父の境遇と似ている(祖父は英文学者、伯父は幼年学校に進んだ)。祖父が要注意人物として投獄されたことはないはずだが、英語のできる者として軍への協力を求められてもノラリクラリと逃げたという話は聞いたような気がする。

主人公ゆりの人間的な弱さが描かれるのが印象的。身体的な虚弱さではなく、疎開先の家族や小人たちに持ち帰ろうとしていたお土産を、つい誘惑に駆られて食べてしまうとか、小人たちに分けるべきミルクを我慢できずに飲んでしまうとか、人間としてごく当たり前の、意志や性格の弱さ。そして当然ながら後で自責の念に駆られる様子が切ない。

もちろん戦争はやがて終わり、主人公も無事に(疎開前よりもむしろ丈夫な身体になって)両親のもとに帰れるのだけど、物語の終わり方はハッピーエンドではない。

続編はあまり好きではなかったのだけど、やはり続けて読まずにはいられないなぁ。

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