斎藤健『増補・転落の歴史に何を見るか』(ちくま文庫)

最近著者に会ったらしい上司が読んでくれと頼むので、読む。

前半、日露戦争からノモンハン事件に至る転落(と著者は言う)の歴史を分析していくところはなかなか面白いのだけど、後半の、現代日本のための処方箋の部分があまりにも陳腐で、どうしたものかという感じ。

「政」「官」のバランスを考えるのは官僚から政治家に転じた著者としては自然な流れなのかもしれないけど、国や社会のうち、その部分を弄ることでどうにかなる部分は思ったより小さいという点には思い至らないのだろう。結局のところ、「公」(public)がどのように構築されているか(あるいはそもそも存在しているのか)という点が決定的に大きいと思うのだが。

よく勉強するし分析もできるけど、そこから説得力ある結論や新味のある展望を導く能力に欠ける原因を、受験エリートとして歩んできた生い立ちに求めるのは偏見かもしれないけど、実際、そうなるよなぁという思いはある。

 

 

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