「人工知能が人間の知能を越えることはあるのか」的な問いに、どちらかといえば懐疑的な方向で答えを出そうとしている本。
が、あまり納得できない。
人工知能を語るうえでは人間の(あるいは生物の)知能を深く理解することが重要である、というのは確かにそのとおりなのかもしれない。
しかし、よく言われるように「空を飛ぶために鳥を真似する必要はない」(あるいは「速く走るために四つ脚になる必要はない」でもいい)という点については本書でもしっかり言及しているにもかかわらず、なぜか著者は知能について語る際には「人間の(あるいは生物の)」知能に最後までこだわり続けるのだ。すると、人間の知能を越えるような人工知能は、少なくとも近い将来には実現しない、という結論になる。
でもこれは論の立て方としておかしい。「知能(あるいは知性)とは何か」という問いの答えが自明とされてしまっている(つまり、人間の知性のようなものが知性である)。確かに(今のところ)身体を持たない人工知能が、人間やそれ以外の生物と同じように世界を経験・認識することはできないかもしれない(人工知能は椅子に座れない)。でもそれは「認識している世界が違う」というだけの話であって、知能の優劣の問題ではない。
より根源的に考えるならば、「人間の(あるいは生物の)知性とは大きく異なる知性はありうるか。ありうるとすれば、それを人間が生み出す可能性はあるか。それが人間の知性を『越える』とすれば、何をもって『越えた』と見なすのか」という問いになるのではないか。
(というわけで、次、あるいは次の次に読むのは『タコの心身問題』の予定)