冒頭、パナマ文書の章は「これ、そのままサスペンス小説になるんじゃない?」と思わせるくらい、読ませる。それ以降はややトーンが落ち着くものの、グローバリゼーションの流れのなかで国民国家という枠組みがいろいろ機能不全に陥るなかで、ジャーナリストたちがそれに対する一つの答えを出しつつある様子に勇気づけられる。
ところが最終章で語られる日本の状況は、それとはあまりにも落差が激しく……。昨今伝えられる公文書廃棄にせよ、しょっちゅう出てくる「のり弁」にせよ、この国は後進国(途上国ではなく、後ろに進んでいる国)なのだなぁという残念感がふつふつと沸いてくる。ま、それはさておき、この章では「個人情報」保護との絡みでパブリック/プライベート概念の問い直しがあって、前著『英国式事件報道』からの問題意識が引き継がれているのが良い。この本を読んで面白いと思ったら、読む順番は逆でも全然問題ないので、ぜひ前著もオススメする。前著ではグローバルな話よりももっと身近な事件が取り上げられているので、むしろ読みやすいかもしれない。
そういえば、確か何度か「権力者や犯罪者」と同列に並べられている点が面白くて、「うんうん、報道というのはそういう視点であるべきだよな」との意を強くした。